街角で

実家の栃木から療術の学校へ通うために
東京へ出てきた10年前ー
新宿で仕事をしながら当時代々木にあった学校とを行き来するのに、最初は杉並で部屋を探していた。
時期が悪かったのか、思い通りの物件に巡り合わず途方に暮れて西新宿の不動産屋の前でため息混じりにぼーっと突っ立っていると、中から若い男性の店員が何とも言えないさり気な、灰汁の無い笑顔で話しかけてきた。

『何かお困りですか?』

そう。本当にお困り…だった。
物件探しをやめて、栃木から学校へ通おうかと店の前で決心していたのだが、
その店員の懇切で熱心な物件探しのお陰で
ようやく翌週には部屋が決まった。
初東京暮らしの部屋は店員のいち押しだった、渋谷区の幡ヶ谷のワンルーム。

その後8年間の幡ヶ谷ライフが始まった。

幡ヶ谷は東に新宿区、西に杉並区、北は中野区、南に下るとすぐに代々木公園という立地で、代々木上原や原宿も近かったせいか芸能人をよく見かけることがあった。

中でも1番遭遇率が高かったのが、
俳優の大杉漣さんだった。

あまり詳しくは知らないのだが、
人から聞いた話では大杉さんの事務所が幡ヶ谷にあったそうで地元ではかなり馴染みがあったらしく、街角で彼を見かけるときはいつも誰かと話をしていたり、話しかけられたりと楽しそうにニコニコ笑っている印象が強かった。

どうも〜っ

大きな声で商店街の店の暖簾をくぐって
出てくる姿もみかけた。

自宅近くの一本道の狭い歩道を自転車で走っていたとき、向かいからも1台の自転車が来たので、止まって道を譲ろうとして顔を上げると、相手が大杉漣さんだったことがある。
大杉さんも自転車を止めて、私に道を譲ろうとしてくれていた。

あ。大杉さんだ。という私の顔を見て、
やさしくニコっと微笑んで会釈してくださり、どうぞどうぞ!と片手で道を譲ってくれたのを今でも心地よく覚えている。

あの時のさり気な灰汁の無い笑顔は
全く嫌味がなくて、心からあたたかく
なった。

そうやって、たくさんの人を
幸せな気持ちにして来たんだろうな。

素敵なひとでした。

テレビ画像を見ていると、
亡くなったなんて信じられない。

そうやって、ひとのこころに生き続ける
って、すごいことだな。と思う。

亡くなったご本人が悲しんだり
寂しい思いをしてないことを祈りたい。

どうか、安らかに。

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